研究室概要

インタビュー

Special Report: Interview with Ryosuke Shibasaki

interviewer: Ryomei Onishi / 大西 量明
shibasaki_sensei

学部のころ

学部の卒論は、一言で言うと土地利用図の数値データ解析です。例えば人口とか、工業出荷額といった経済活動に関する統計があるよね。あれが土地利用のデータとどういう関係があるか?といったことを調べました。工業用地の面積と、工業出荷額の関係は?とか

あるいは商業統計で市ごとの売り上げ価格を調べ、それと市の中にある商業用地の面積の総和がどういう関係があるか?ということをやっていました。

県別には全国、市町村別には一都八県というレベルでしたけど、データの整理が大変でした。統計書を見て入力したりする作業もあったから・・・

そうして土地利用と統計データの相関関係を調べていったところ、結果は「市町村単位だとあまり関係は強く ない、マクロレベルだと結構相関が見られる」といったものでした。つまり県レベルでみると、その二つに関係があることがわかりました。たとえば事業の情報 から工業種統計が説明できたりするわけです。それが卒論です。この内容は結局、土地利用モデルと経済モデルをつなぐときのリンク情報として使われました。

それにこの時代に、マクロ・ミクロ経済学や都市経済学をやったのがあとで、結構役に立ちました。

学部、修士ともに土木にいたけど、構造物に関することというよりは一貫して「地図」に関することをやって きてますね。世の中をデータに変換してどう眺めるか?という視点です。地図への関心は小学校の頃からありました。地図ばっかり見て、それを楽しむというの がちょっとした趣味だったから・・・考えてみるとぴったりの仕事をしていますね。

地図帳見たりするのって面白いじゃないですか。日本地図とか世界地図とか。

いまでもPCの中に地図が入ってるから、新幹線に乗っていて暇なとき、外の風景と路線図見比べながら「新幹線といまあの道路が交差したから、ちょうどこの地点を通過したに違いない。近くに**の工場もあるし・・・」なんて考えみたり。

そんなわけで地理はとても好きでしたが、社会は全般的に得意でした。ほとんど趣味ですね。受験科目も日本 史、世界史取ったけど、あれもまったく趣味の領域。勉強させられたという意識はなかった。歴史科目も、ある空間の中でどういう出来事があったか、その背後 に人間のどんなドラマがあったかという面白さがあるよね。

(後記:ちなみに幾何学も大好きでした。特に図に書けない三次元図形を頭の中だけで考えたりするのは面白かった・・)

基本的に、「面白い、面白くない」で続くか続かないかが決まるじゃないですか。

例えばセンター入試で、有利だからって地理よりも倫社やるっていう方法がありますよね。一時的にはできるだろうけど、じゃあずっと倫社やり続けなさい、っていわれたらつらい。やっぱり好きなことじゃないと続きませんよ。

修士のころ―生産研と村井研

当時その卒論書いていた研究室から二つのルートがあったんです。生産技術研究所に行くのと、本郷に残るコースがあって、みんな生研に行った事が無いからちょっといやがるでしょう。僕も本郷の近くに住んでいたし。

その時行きたい研究室というのは特になくて、「地域に密着したこと」が出来ればどこでもいい、という気持ちでしたが。

で、研究室の3人でサイコロをみんなで振って一番目の少ないやつが生研、残り2人が本郷、という風に決めたところ・・・僕の目が一番小さかった。(2でした。)

あのサイコロでちょっと人生が変わったかもしれない(笑)

そして生研にいくことになりました。そこにリモートセンシングの村井先生がいたわけです。当時リモセンはまだ日本でも目立っていなくて、生研がパイオニアだったんですよ。

当時は学生が少なくて、M1の学生は自分ひとりしかいないわけです。教授がいて、助手、技官、そしてM1とM2、っていう非常にアットホームな雰囲気でした。M2になるともう生研に住んでましたね。

村井研全体としてはいろんな研究がありました。一眼レフでどれだけ精度よく計測できるか、という研究とか。気球につけて遺跡の調査をしたりね。村井研は当時としては計算機環境がよかったんです。だから研究環境には非常に恵まれていました。

修士時代の研究内容は、3次元計測のシミュレーションでした。いまTLS(Three Line Sensor)があるでしょう。あれで3次元データが作れるよね。まさにあれと同じことをやっていたわけ。

当時TLSのような衛星を打ち上げる計画がアメリカにあって、その衛星について「3次元計測の精 度を上げるためには衛星にセンサーをどう取り付けたらいいのか?」「そもそもどんな情報があると精度が上がるのか?」といったことを調べていました。シ ミュレーションしてみる、つまり衛星を仮想に作って飛ばし、そこから得られるであろう画像をつくって、解析し、条件を変えると精度がどう変わるかを試 す・・・そういう研究ですね。

シミュレーションというのはすごく自由なんです。そこには既存の制約がない、つまり「このセン サーはこういう時間帯しかデータが取れない」といった物理的制限がなにもないから、思うままにプログラムを書ける。そして衛星の動き方やセンサーの数や向 きといったことを好きに動かせるわけです。シミュレーションというのはとにかくアイデアがメインで、あとはプログラムさえ書けばいくらでも成果物は出来た ので、自分の自由に進められました。だからすごく楽しかったね。思ったとおり絵がでるし、計算結果もヴィジュアライズできるし。

このテーマで修士論文を書きました。自分では非常に革新的なことをしたつもりだったし、周辺のごく一部の専門家はいいと言ってくれたんですが、ちょっと専門がずれたり、同じ専門でも実務家は、ちょっと冷たかったですね・・・

建設省のころ

研究者への道も少しは考えてました。ただその研究室には若い優秀な助手さんがいらっしゃったの で、ドクターに残ってもそのまま大学に就職できるかは分からなかった。それに先生に聞いたら「ドクターで食っていくのは大変だよ。就職したほうがいいん じゃないの?」と助言を受けたこともあって、結構あっさりと建設省に行くことにしました。公務員試験にも受かっていたしね。

で、建設省で僕は(幸か不幸か)研究所に配属になったのです。そこは土木研究所というところで、 本省直轄のシンクタンクみたいな場所でした。だから基礎研究というよりも応用研究がメインで、内容も政策を決める上でのデータ作りといった政策支援が多 かったですね。たとえば道路投資をするとどのくらい日本経済にインパクトがあるのか、といったテーマです。道路の調査をして乗数効果を調べる、といった計 量経済モデルですね。研究員にはけっこう裁量権があったので、修士時代のようなリモートセンシングの研究やGISの絡む研究も個人的に進めていました。

建設省にいて良かったことの一つは、役所の中で物事がどう決まっていくのか、というシステムが理 解できたことですね。どんな議論がなされているのか、とかそういうプロセスを経験が出来たことは大きい。行政の本音はいくらでも聞けたし、外から見て不合 理でも内部ではきわめて合理的、といった「組織の行動科学」とでも言うべきものを実感できたのは良かった。

結局6年いたね。その6年の間にはいろいろ身に付きました。計量経済モデルの作り方とか。知識は 否応無く身に付くし。ただ僕の見たところあの分野はペーパーにするのは難しいと思われた。データは統計データだから限られるし、それを使える範囲で検証で きるアイデアはある程度、出尽くしているし。そうすると線形回帰、非線形回帰などと言ってもそれはあくまで統計の問題なわけで、いくら違うアイデア持って いても「そんなデータはありません」といわれたらおしまいだからね。

それ以来ちょっとマクロなモデル作りは難しいな、と考えてます。モデルを作ってもそこからどれだ け自信を持ってものがいえるのかどうか。ロジックを追いつめていくとどうしてもミクロなレベルにならざるを得なくなる。そういうミクロを計算機の処理力で 積み上げてマクロにする、といったアプローチにせざるを得ないと感じたわけです。それはいま大学でやっていることにもつながっていますね。

建設省から再び大学へ

大学に戻ったのは、まったくの偶然でした。いや、自分で言うのもなんだけど修士論文の評価が結 構、高かったので、それで、修論にもう少し手を加えてドクターを取ってはどうかと村井先生から持ちかけられた。それでしばらく、働きながら博士論文を書い ていました。ただそれは、大学に戻ろうという目的で博士を取ろうとしていたわけではないんです。ただ単に博士号がもらえるならばもらっておこうかな・・・ というくらいの動機。取っても損はないでしょ。

またその頃航空写真をデジタル化して三次元自動計測をして何かに役立てよう、というアイディアが 土研(土木研究所)の中で立ち上がっていたんですね。民間企業からお金集めて研究組合みたいなものを作って、国―企業―大学という共同研究プロジェクトと いうのをやっていた。だからその頃は、大学とのやりとりは頻繁にあったんですよ。

それと時を同じくして、ある突発的な事故から本郷の助教授の席が一つぽっかりと空いたんですよ。 で、似たような年代で博士号持っている人があまりいなかった。それで僕のところに話が来た。とりあえず本郷で3年やりませんかと。その後は生研の村井先生 のポストがあくのでそちらに移れますと。

そういう具合に声がかかって、まあ面白そうだなと思って戻ってきたわけです。そのお声がかかるまでは大学に戻るなんて思っても見なかったので、驚きましたね。

生研に移ると村井先生はAIT(アジア工科大学院)に行かれることになっていました。それで、もうあとは好きにやってくれと言われたので後を引き継ぐ形で今の研究室ができたわけです。

本郷に戻ってから所属した「測量研究室」は中村英夫教授が主催していて、卒論を書いた研究室で す。何か振り出しにもどったみたい・・・でした。しばらくは、建設省の頃と同じような地域経済、公共投資の効果とか、土地利用の変化とかをやっていまし た。それと同時にGIS(地理情報システム)もやり始めました。

中村教授が「これからは数値地図の時代だ!」と相当プッシュされましたし、やはり新しい方向を開 拓したかったから。ちなみにこの「測量研究室」はその当時の国立大学唯一の測量学講座で、できるときには田中角栄が支援してくれたという伝説のある研究室 でした。単なる「測量」だけではまったくなく、地域の計量化、モデルとしての表現、その利用、環境影響とかそうした色々な地域システムとの連携とか、考え てみると、いまうち(柴崎研)でやっているのと、アプローチの仕方が似ているかも。で、GISはこっち(生研)に来てから本格的になったね。自治体で GISを導入するには?とか、実地調査もやったし。

あと、ちょうどそのころトヨタ自動車からの寄附講座として、寄付金を年間5千万くらい貰って研究室を別に作るというプロジェクトが生研にあったんです。そこのテーマが「グローブ・エンジニアリング」。つまり地球環境で、そこでもGISは使っていた。

だからいま研究室でやっているグローバルなテーマ、あれはその頃(90年代初頭)からやっている題材なんですね。そうして現在に至る、というわけです。

現在提言していることについて

いろいろな媒体でG―XMLの標準化やLoSへの意識向上といったいくつかの提言はしているけ ど、基本的には提言が好きでやっていると言うよりは、親切心からのアドバイス、あるいはおせっかいなんですよ。それを採るか採らないかは実務に就いている 人たちの判断なわけだから。ハタから見ればある種のおせっかいだよね。参考になれば採用する人もいるだろうし、参考にならなければ使わない。で、使われな いからと言って僕もその後の研究者生命がどうこうなるわけでもないし。

だから、研究上「こういうやり方をするとよくないな」という発見があって、実務についている人た ちに「君たちのやり方はこういう点から見ると危ないんじゃないか、こうしたほうがいいんじゃないか」というアドバイスを届ける、というのが今やっている提 言の意味。さっきの標準化の話とかね。

だから社会貢献のため、というべきかな。誰かの役に立てばね。役立たなければ社会的おせっかいとも言うけど(笑)。

自分にとって面白いこと

そういったことでも、原動力はやっぱり「なにが面白くてやってるのか」ということ。

じゃあ自分にとって面白いことってなんだろう?

一つはやっぱり、いまこうして動いている生の世界をどう捉えるか、ということ。生の現実をどう やってモニターできるか、把握できるか、ビジュアライズできるか、という取り組み。計測という行為は、実際に動いて変化している事象をある断面で切って データ化することでしょう。すると「ほら、地表はこんなふうに温度が変化するんですよ」と見ることが出来る。

そうした「リアルタイムで現実をモニターする」あるいは「俯瞰する」行為はとても面白い。

地図というメディアもそうだよね。あれもある種の「リアルなもの」、つまり現実のコピーでしょ う。シンボル化を通してつくったコピーによって、僕らは世界がパッと見通せるわけ。だから世の中の動きを把握しようとすることは、ある意味で「拡張地図」 を作成しようとする試みと言えるかもしれない。

そうした、現実を把握しようとする面白さがまず一つあります。

もう一つは、その現実とか世界の中で「なんで人間がこういう風に動くのか?」ということ。人間への関心ですね。現実をモニターしていれば、当然人間がどう動いているかも分かるわけで、じゃあどうして人間はこういう振る舞いをしているのだろう?と考えたくなる。

物事が好き嫌いで分けるなら、このあたりがとても「好き」な話題だね。

「好き・嫌い」について―人間の立場から発想すること

生きるうえで、基本的な方向はそういう「好き」か「嫌い」かで決まると思うんですよ。

ただ、戦略はまた別でしょう。具体的にどういう選択肢を採るかは周囲の状況で変化する。

たとえば「人の動きが知りたい」といったところで、いきなり認知科学とか心理学の実験とかをいき なり始めないのは、もう既にそこにはあまりにも大勢の人がいるから。つまりそういう研究者のグループがたくさんいて、いろんな視点からいろんな実験がなさ れているわけだよね。そんな中に今更入っていっても面白くないし、同じ実験を繰り返しても仕方が無い。むしろもっと違う視点から出来るんじゃないかを考え る。

だから、研究でも何でも具体的に動き出す第一歩は境界条件とか周囲状況を見ながら第一歩を踏み出すんだけど、踏み出してから「あっちの方が面白そうだな、行きたいな」と思うのは確実に好き嫌いの世界だよね。

人間と工学の関係

人間に関する話、というのは工学の大きなターゲットなわけです。あるいは、工学にとって非常に重 要な条件と言うべきでしょう。あるテーマがあるとして、それが人に受けなければ工学のターゲットにはなりえない。どんなに研究の過程でサイエンスの領域に 飛び込んでも、最終的には人と切り離せない。人にとって好き嫌い、快と不快、安全か危険か・・・そういうところと切り離して考えられない。僕はそもそも人 の動きに興味があったのだけれど、意外と理工系の人でそういう興味から研究戦略を組み立てる人って少ないんです。彼らはまた別の好き嫌いで動いている。

人間の立場から出てくる研究を再構成、リ・デザインするということが一番世の中の役に立つし、僕の趣味にも合うわけです。その意味で、ずいぶん得な趣味だよね。

だからあくまで科学じゃなくて工学のマインドで発想している。人のことを志向しているから。

人そのものは科学にとっても工学にとっても、あるいは文学にとっても大きなターゲットだろうけ ど、僕はそれに工学の立場で向き合っている。「人間はなぜそう動くのか?」「なぜそう思うのか?」・・・そういう大きな対象への興味を軸にして、既存の技 術や新しい技術を組み直す、あるいは足りないところを補っていく。

目的志向と手段志向

そういう意味で僕は目的志向なんですよ。あまり手段にこだわらない。

だから画像処理の人が画像にこだわって、画像でどこまでいけるかと一生懸命にやるのとはちょっと 違う。僕は画像処理屋ではない(と自分では思っている)から、必要ならほかの手段も使う。むしろ、一つの手段にこだわっている人の前で「この方法でやった らこんなに簡単に出来ちゃいましたよ」とか言ってあげる。そこにはちょっと意地悪な気持ちもあったりするけど(笑)。

レーザーの話を始めたのも、そういう目的志向の発想からです。みんなが3次元のデータが欲しい、 といって一生懸命画像を扱うけどなかなかうまくいってなかった。でもレーザーっていう技術は自動的にそれを可能にしちゃう。それを導入してみて、どこまで いけるか試してみたらいいんじゃないか?と。出来なければ研究になるし、出来ればそこでもう終わり。目的は達成されたわけだから。

そういう意味で、レーザーは画像屋さんに対するアンチテーゼだったかもね、最初のうちは。3次元のデータが欲しいなら、どうしてもっとストレートなやり方をしないのか?という素朴な発想から導入したわけです。

あと、画像の世界には研究者が山のようにいるわけですよ。で、そんな中で押し合いへし合い競争していくのは面倒くさいですよね。ちょっと面倒くさがり屋な面もあるもので。

とにかく、人とごつごつぶつかり合いながらのし上がっていく、というのは僕の趣味じゃなかった。できるんなら、誰もいないところをサーッと登っていくほうが楽だなぁと思っています。

だから画像をやっていた人が今頃になってレーザーを始めたのを見ていると面白いよね。レーザーなんて使わない、って言っていた人が数年後にレーザーを導入していたりとか。

それまでは、「レーザーを使ったら即画像が取れて当然だ、それじゃ研究にならない」という考え方が支配的だったわけです。

そんな風に、研究には「わざと難しくやることに意味がある」という面もあるんですよ。ある手段を洗練して洗練して・・・そのこと自体を目的にしてしまうような考え方。

例えば、敵を倒さなきゃいけないとします。そんな考え方は、たとえるなら日本刀で切りつけることこそが正しい姿だと主張して、銃で撃つなんてことは邪道だとすることと同じだ。どうせ敵を倒さなきゃいけないのなら、遠くから狙撃したほうが楽だよね。

もちろん近接戦闘でね、銃の弾込めが遅いのなら日本刀の方がいいでしょう。でもそうじゃないときもある。だったらレーザーという鉄砲も使って、どの距離まで来たら危ないのでここからは日本刀で戦うべきだ、ということが分かればいいよね。

あるいは弾込めが遅いのだったら、連装式の銃を開発すればいい。そうやって新しいテーマも産まれてくる。

そんな風に、専門の蛸壺化と距離をとろうとしている面はあります。それはそれでどこか別の蛸壺にはまっているのかもしれないけど(笑)

ただ、目的というものはそう簡単には達成されないものだと思います。あるものをまず試す、改良する。それでもどうしてもできない。その過程で生まれるのが本当の研究テーマですよね。既存の技術では足りないということが分かった結果なんだから。

なんにせよ目的を設定してそれを志向することは大事です。

いま一番関心のあること

「動かないもの」についてはもうある意味でやり尽くしたと思うんです。やはり「動くもの」を扱い たい。かつ「動くものがなぜそう動くのか」を理解できれば、そこから先はいろんな使い道が見つかるだろうと。「動くもの」、そこには当然人や車、電車など いろいろなものが含まれる。だけど僕は車そのもののダイナミクスには興味がない。見るべき対象はドライバーだよね。だから工学はやっぱり対象が人なんで す。そういう意味では人の動きを知る、モニターする、そしてそれを使って何をやるか、というのは大きなテーマであり永遠のテーマでしょう。逆に言えば、研 究テーマとしてずっと成立しうる。それは長い間楽しめる知的エンターテイメントと言えます。

伝統的な地図と言うのは動かないものを紙に乗せている。ハリー・ポッターに「忍びの地図」ってあったでしょう。リアルタイムで誰がどこにいるか、どう動いているかをモニターする地図。ああいうのは究極の地図と言えるかもしれない。

例えばそんな「動く地図」が作れたとしたら、それは個人的な趣味と研究テーマが一致したものになるでしょう。

地図の強みは俯瞰できることにあるよね。世の中を見ようと思えば、実際に都市を歩き回れば、まあ 見て眺めることは出来る。だけど全体をパッと見渡すことは出来ない。ヘリだってずっと飛んでいるわけにはいかないし。そして地図というメディアの特徴とし て、「視点を自由に切り替えられる」という性質があると思う。飛行機から都市を眺めても視点を切り替えられないでしょう。

そのように、常に現実をリアルタイムで把握して、しかもいろいろな視点を切り替えられるような地図があったらそれは究極の地図と言えるかもしれない。

こうした「人の動き」をテーマにしている限り研究は尽きることが無い。しかも社会への貢献も出来る。ここで勉強していた学生にとっても、こうしたテーマやものの考え方はいくら追いかけても陳腐化しないから、社会でも何かの役に立っていくと思う。

情報をどう集めて、どうやると「動く地図」(例えばね)が出来て、それから何を読み取って、その次にどんなアクションをとるか・・・という話が役に立たない世界はほとんど無いよね。実社会で生きていくなら。

そういう意味ではみんなの役にも立っているかなと思っています。

研究室の学生にはどんなことを学んでいって欲しいか

例えば地図に関するリテラシーというものは、知識でありテクニックですよね。必ずしも知識やテクニックとして消費されないものが僕は好きだから、地図に関して言えば、むしろ概念スキーマの捉え方といったこと、もう一つ抽象度の高いこと、を学んで欲しいかな。

だけど、なにかをここで「学ぶ」という以上に、「好きなことして食っていけてしかも社会貢献も出 来る」、そんなことができることも知って欲しいですね。僕は偶然も含めてそれができているので。自分が本当にやりたいことを我慢して、やりたくないことを やって給料を貰っているわけではない。

食うためにあえて自分の好き嫌いを無視しなくても、いろいろやっていく道はある、という話がしたい。あるいはそのお手伝いが出来たらいいなと思う。

これは僕の考え方なのでそれを押し付けたりはしないですよ。

もちろん好き嫌いをいきなり社会にぶつけたって食っていけないですよね。僕だって人間の話題以外に好きなことはあるわけで。例えば自転車漕ぐことも好きだけど、かといって競輪選手になろうとは思わないから。

だけど、自分の好き嫌いと社会の要望とをうまくマッチさせるうちに、趣味と実益をうまくかみ合わ せるうちに、きっと「もっとこういうこともやったほうがいいな」とか「こういうものが必要だ」ということがわかってくる。そんないい循環ができてくる。そ うすると、ますます面白くなっていくし、周りにも一応役に立つことが出来るし、食べていくことが出来る。なにより、世の中にもいままでやってきたことを還 元することが出来る。

そういう流れの作り方みたいなものは学んでいって欲しいな、と思いますね。

僕自身、会社に入ってそこでそのままずっとやっている、といった経験とはちょっと違う経験をしてきているので。こういうロールモデルもあるよ、ということは言えるのじゃないか。(もちろん、このまま最後までハッピーでいける保証はないけど。)

それに建設省などの組織を見てきた経験から言うと、組織は必ずそれぞれの人間にある特定の役割を 割り当てる。その割り当てによっては、その人のいいところが活きないことも少なくない。趣味でやっている草野球のチームで、あまり好きでない「一塁手」を 割り当てられてもまあ我慢できるかもしれないし、「役所の仕事」がその人の人生のごく一部だとわりきれるなら、それでもいいかも知れないけど、少なくとも 役所に「エリートの卵」として入った人たちは、それにやっぱり人生をかけるくらいのつもりできていますよね。その人達が、与えられた役割のなかでだんだん 輝かなくなっていくのを見ることだってある。それをみると、「建設省」という大きなチームが勝てば、自分はベンチでもいい、というくらいの気持ちがない と、やっぱりつらいんじゃないかと思う。弱小チームでも試合に出たい、というんなら、そのチームにはいない方がいいんじゃないかな。

僕自身は自分のことを、もちろん、天才的な頭脳を持っている、なるべくしてなった人間だとは思っ てないんですよ。ほら『ビューティフル・マインド』のラッセル・クロウみたいな。ああいう人間だとは思っていない。だから興味の持ち方とか、周りとの付き 合い方とか、ニーズの引き出し方とか、それをどういう風に繋いでいくか、どういうアクションを起こしていくか・・・そんなことは誰でも出来ることで、そう いうやり方もあるんだよ、という部分が伝わるといいんじゃないかな。それが「伝わってくれるといいな」と思っていることのトップ・レイヤーにあることで、 もうちょっと下がると「目的志向」があるわけです。

人間って、自分でわざわざ制約かけることって多いですよね。

「こうしなきゃいけない」とか「こうあらねばならない」とか。それを外して物を考えてみると、新しい展開がありえる。

レーザー始めた頃も、そんな機材はまだ研究室に無かった。だから、まずシミュレーションをやって 必要な手法の検討をやっていた頃で、趙さんがまさにそのテーマで修士論文を書いていた。レーザーって、ぜんぜん一般的じゃなくて、測量会社がすこし試作機 を持っているくらいのとても特殊な機械だったんだよね。だから、シミュレーションからスタートしたわけなんだけど、そういうことをしていたから、すぐある 測量会社から試作器を借りることができた。そうやって蓄積を作っていれば、必ずチャンスは来るってことですね・・・